創作と日常と

書いた「作品」らしきもの、また日常のこと、思うこと等々。

何のため

 そもそも、自分が何故ブログをするのか。
 今まで書いたものを載っける。今現在の私情を載っける。
 ── で?

 

 単なる暇乞い、ヒマつぶしにすぎないのか。
「ここにいるんだ、おいらは」の承認願望?
 いろんな人とのやりとりを楽しみたい?

 

 ところで「はてなブログ」の仕組みもよくわからない。
 ブックマーク、付けると何やら広がりが生まれるとか。
 … 基本、アフィリエイトができるサイトということで、そこが利点なんだろうけれど。

 モノはもういっぱい溢れているし、PRされてもそこでなく、もっと安いところはないかと、そっちへ行ってしまう。いやもう自分はモノを増やしたくないのだ。

 

 何のために書いているのか、そしてわざわざ公開するのか。
 これは何か表現する時、常に自分につきまとう自問であり、疑念だが。

 

 とある小説投稿サイトで、もういっぱい自分は載せてきた。もう、はてなブログで同じような記事を投稿するのも… と思う。
 それより本を読み、家事、家の中をことをしっかりやって、こんなパソコンの前であれやこれやと考えていない方が、どれほどいいだろうかとよく思う。

 

 でも2005年辺りからブログを始めて、途中やっていない時もあったが、「書く」作業が習慣になってしまった。ネットが蔓延る前は、個人通信を、縁あって出逢い交流していた人たちに送っていた。コンビニで両面コピー、封筒に宛名を貼り切手を貼り… 「不登校」という繋がりで、「社会」に向けての発信、「何か一緒にやる」… 結局社会に向けて、人に向けて、という意識が強かった。

 

 そう、「社会」… こいつに向かって何かする、が、自分の人との繋がりの根幹、土台にあったと思う。
 しかし… 社会とは何ぞや? だ。観念ではないか。それに一人一人、全く異なった存在だ。
 考えたら、外でなく内へベクトルが向かい…
 またこんなことを書いている。

 

 人生は暇つぶし、という人もあるけれど、それだけではないと思いたい。
 いきなり言えば、世界が平和でありますように、それを求めているんだと思う。
 で、その世界をつくるのは一人一人の自己で…

 

 自分は宗教は持たないけれど、生まれ、生きて、死ぬ── このいのちのこと、その意味のこと… 意味なんかなかったとしても… 結局考えていくんだろうと思う。虫のいのちのこと、花、人、鳥…

 

 漠としたものを言葉、文章にすること。形にして、ひとつ、整理すること… その繰り返しで書いてきたんだと思う。基本の基本は。

 

 そこには、読んでくれる人がいたりして。そうして、何だかつながったりして。

 

 もう仕方ないんだ、こうしてやってきたんだから。