その年の桜は、やはり満開であった。
出店が軒を連ね、その道沿いを歩く。ベンチへ座る。目前の芝生には、親子連れや友達どうしの主婦たち、夫婦や、どういう関係かよくわからない集団などで賑わっていた。
つくってもらったおにぎりを食べる。
つくり主である連れも、注視していたようであった。ぼくらの、2、3m前にレジャーシートを広げて座っていた、1、2歳の女の子の姿を。ぼくも、その女の子のことを、ずっと見ていたのである。
まだおむつの取れていないような彼女は、チョコンと正座して、やはりおにぎりを、一心不乱にもぐもぐと食べ続けていたのであった。
肩に、ほんのりかかるくらいに伸びた髪は、自然にカールされていて、胸にはキティーちゃんのよだれかけが背中で結ばれている。くりくりの大きめのお目々は、自分の手に持ったおにぎりにのみ注がれている。
そして彼女は、全く他の一切のことは何も考えられないように、そのおにぎりだけのために、もぐもぐと咀嚼しては飲み込み、おにぎりを口に含んでは咀嚼して飲み込み、を完膚なまでに無心に熱心に夢中のように繰り返していたのだ。
といって、ガツガツもしていない。自分のペースで、それが自分の責務であるように淡々と、しかしそれはなくてはならない空気の一部のようにして、そのおにぎりをひたすらに食べ続けていたのだった。
小さなお口を、一生懸命、でもないけれど、絶えず動かしながら、おにぎりをほおばる彼女の姿が、とても可愛かった。
しかし、おにぎりは、彼女にとって大き過ぎるようだった。だが、彼女はそのおにぎりを食べ続けているのだ。理由はよく分からないが、お母さんが、彼女からおにぎりをやんわり奪い取った。ふぇーん、という感じで彼女は泣き顔になる。その彼女に、今度はサンドイッチのようなものが差し出された。泣き顔はピタリとやんで、そのサンドイッチのようなものを彼女はほおばり始めた。
それを食べ尽くすと、今度はお菓子であった。「きのこの山」を2、3粒、それからポッキーを1本。
よく食べるなぁ、と感心しながら見ていた。
しかしとても真摯な姿、食物に対する邪念の垣間の全く見れない姿に、愛しさを感じざるを得なかった。全く、彼女は真剣に、食べるために食べていたのだとおもう。
桜も綺麗だったが、あの女の子がほんとうに可愛かった。
(いつかのお花見)