創作と日常と

書いた「作品」らしきもの、また日常のこと、思うこと等々。

ナセバ氏、ナセル氏と

 ヒトにとって住み難い世界、環境・事実的にそんな世界が近づいているとして、だからってどうすりゃいいのさ? 何も変わらないよ、日常は! いつも通り、昨日の通り、こないだの通り、何年前からの通り、朝起きて顔を洗い、歯を磨き、行くべき所に行って居るべき所に居て、夜が来りゃ眠る…
 明日、たとえこの世があの時のヒロシマみたいになってたって… 

いつも通り

に! 何も変わらん、変えられりゃしない── だって何をすりゃいいってのさ?

 記録を残すことだよ、くだらんお前の日常など書かずに!
 それこそ! どうしてこうなったのか、ヒトの悪かったところ、ヒトであるお前なら分かるだろう? こうしたのが悪かった!と、具体的に、生きてきたんなら分かるだろう、分かっているだろう? あのままにしといたのが悪かった、気づいちゃいたが何もしなかった! しようとしたができなかった! どうしてできなかった… そういうことを!

 マルクス・アウレリウスよろしく! ひとりぽっちの反省会、懺悔録!
 てめえのために書くんじゃない… ひょっとしたら物の弾みで、あの人智を越えた偶然の賜物、物の弾みで、後世の役に立つかもしれないよ。こんな世だったからヒトはダメになった、と思い当たることを書いとけば… きみの体験から! 感知したこと、事実から思考したことを…
 誰が書いたかなんて、どうだっていいんだ!「 2000年代、こういう世界をつくった人たちは、こうして滅んで行きました」
 具体的に書くんだよ。

 プラトンは古代大陸の実在をほのめかしている。何億年も前からヒトってのはいたんだ、文明ってのはあったんだ。何も俺らが最初のヒトだったわけじゃない、生、滅、生、滅、繰り返してきたのがヒトってやつなんだ… だからまた繰り返しゃいいって話じゃない! なんでこうなったのかを考えるんだ…

 政治家、商人、宗教家、凡人奇人変人、それぞれの立場から、ヒトに、ほんとうにヒトに向かって!
 腐った恥知らずの自己顕示欲ばっかに捉われずに。てめえとその周辺だけが良けりゃいいなんて狭隘な考えに捉われずに。
 後世のヒトはあてはめて行くだろう… こういうヒトはこう思考し… このような事実があり、こう生き… こういうヒトは、ああいうヒトは、この場合は、あの場合は!

 俺らは「例文」だ、これを例に、題材に具材に、課題にして、彼らは彼らの「解答」を出す… これもその時の限りを超えないけれど…
 偏差値も点数も勤務評価も関係ない、机上や職場のテストじゃないんだ、ヒトがヒトとして生きるためのものとして。

 今だって赤ン坊が生まれてる… どんな子だって生きるために生まれてくんだ… そして死ぬ… ひとりひとりの生死はどうしようもない… 個人でない、ヒト… ヒトの歴史まで絶やさなくたっていいじゃないか。
 継がれていってほしいもんだ、生命、いのちをだ…
 さあ書け書け! コレガ・アヤマチデシタ、コレヲ・ホッポットキマシタ… コウシテ・ワレワレハ・ホロンデイキソウデス…