『全身を感じながら入息しよう』と訓練し、『全身を感じながら出息しよう』と訓練する』(アーナーパーナサティ・スッタ:出入息念経)
ステップ3は、「身体のすべてを体験する」です。
このレッスンでは、呼吸が身体にどのような影響を与えるかについて、追求します。「全身を感じながら」というのは、短い・長い・粗い・スムーズ・穏やか・乱れ、といった、呼吸の特徴を直接知ることを意味します。
ここでは、身体のすべてを体験することを目的とします。このステップの本質は、息が入って来る時、出て行く時の、身体のすべてを感じることです。
呼吸を観察することから始まったマインドフルネスですから、ここでも何も新しいことがあるのではなく、前よりももっとハッキリ、クリアに、注意深く観て、探求観察を続けるだけです。
より深く、呼吸する身体と肉体の身体、2つの身体を観じます。息が入って来る。息が出て行く。この間を、途切れなく観察することです。
呼吸が、肉体の身体を調整することを忘れないで下さい。臓器、脈拍、血流に、われわれは直接触れることはできませんが、呼吸によってそれを調整することができるということです。
「身体」という言葉は、「集まり」という概念を含んでいます。原語のパーリ語では、「集まり、積み重ね、塊、部門」などの意味を表します。
「呼吸する身体」も身体ですので、同様の集合体、ひとつのグループです。
マインドフルネスでは、
・2つのグループがあること。
・それらのグループが生じ、成長し、一方のグループを支えていること。
・「呼吸する身体のグループが、「生身の身体」のグループを活性化させること。
この3点を学びます。
既にわれわれは、長い呼吸、短い呼吸によって、呼吸が生身の身体にどのように影響するのか体験しています。
このステップ「全身を感じながら呼吸をする」は、呼吸する身体の精妙さ、肉体の身体の微細さを、より精密に洞察観察することです。
双方の身体を観て、それぞれが互いにどう生じ、また滅していくのかを観て下さい。ブッダは、入息の時、生命が生じ、出息の時、生命が滅すると観じました。
「息が出ていった時、一瞬呼吸は『止まり』ます。この沈黙、一瞬の『間』に、ブッダは無我の萌芽のようなものを感じていたのではないか」とは、住職の意見。
呼吸が、生身の肉体の調整装置であること。
一度身体が生まれたら、思考、感受、行動、言動といった副産物がうまれる── それらは、身体がなくては、けっして起こり得ないもの。
自分が何か感じ、考え、行動し、何か言う、それらの元・コントロール室・調整装置が呼吸であり、生身の肉体自身である、ということです。
この2つの身体を、よりよくして行くプロセスとして、ブッダはこの瞑想(現代でいうマインドフルネス)をしょっちゅうしていた、といわれています。
いくら古い経典に残っているとしても、弟子達の曲解の洗礼を受けているとしても── 現在息を吸っている人に役立っているのならそれでいい、と私は思っています。