創作と日常と

書いた「作品」らしきもの、また日常のこと、思うこと等々。

食の話、関係の話

 一昨日、スーパーで菜の花(食用の)が安かったので買った。味噌汁にも、野菜炒めに混ぜるもよし。
 茎と葉っぱ、そしてたくさんの種、蕾か、が茎の先っちょに。
 何となくコップに入れて水を与え、台所の窓辺に置いておいたら、なんと翌日一、二輪の小さな花が咲いていた。
 黄色い花だ。
 うわ、これ切って食ちゃうのかよ… 申し訳ない気がした、ほんとに可愛い、小さな花だ。
 心の中で謝って、切って、味噌汁に入れてしまった。いかん、こう書いていても……

 ほんと、いのち、いただいてるよなぁ!
 自分では食わず、家人に食ってもらったが。
 鶏や豚、牛も、すでに切られて、でもそんなこと考えたらなんも食えんくなるな。

 アイヌの話で、いつかラジオで聞いたことがある。
 トナカイ?鹿?、その一頭が、一頭だけ、じっとそこにいたというのだ。
 他のは群れて、「人間が来た!」というので急いで逃げたのに、その一頭だけが。

 人間は、とにかくその一頭を撃ったか何かして、さばいて食った。
 さばく場面… 狩猟に同行した、ラジオで話していた人は都会に住んでいる人で、とてもじゃないがそんな場面、見るに堪えないだろうと想像していた。
 だが、こわごわ見ていると、その料理人?さばき人は、みごとに、きれいに、その動物の身体をさいていき、その内臓も美しかった、というような話だった。
 そしてその動物の眼。やさしく、ほんとうにきれいだったという。

 ああ、この子は、私たちに、「食べていいよ」とでもいうように、群れと一緒に逃げず、そこに立って、じっとこっちを見ていたんだ── そんなふうに、その人には感じられた…

 そんな話だったと思う。
 彼女(女の人だった)は、手を合わせて、いただいた。とっても美味しかったそうだ。

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 動物とは、何か気持ちが通じ合うように感じる時がある。
 まして人間どうし、通じ合えないわけがないはずなんだが。
 … 最近思うのは、理解する/しないでなく、相手をそのまま認めること、認めよう、受け入れようとすること。そのままに。
 そうすると、いい関係ができあがっていく気がする。
 こちらが相手に何を求めるでなく。相手から自分が学んでいこう、というような姿勢で。それも気軽に。
 それだけで、悪くない、いい関係が、その基盤が、できあがっていくような…

 相手から私は何かを学ぶ、感じ取る。学び、感じた自分を学ぶ…

 

(今年の春)