今日、うまれて初めて、人を「きみ」と呼んだ。
銭湯からの帰路、前方からランドセルを背負った小一くらいの女の子が歩いてくるのが見えた。
その一瞬、彼女の足元に広告紙のようなものが、ランドセルから落ちたように見えた。風の強い日だったので、路上にあったのが風に舞ったのかと思った。
通り過ぎながら確認してみると「見学の記録」とあって、ハンコも押されている。
女の子はさっさと歩いていて、すでに私との距離が離れている。
ちょっと追い掛けながら、呼び止めようとした。だが、言葉に詰まった。相手が男の子だったら、「ぼく、ぼく!」と呼べたが、女の子である。アレッ、どう呼べばいいんだ?… もしもし、というのも、お嬢ちゃん、というのも頭に浮かんでこなかった。
「落としたよ!」そのまま言ったが、振り返らない。仕方なく、「きみ、きみ!」と呼んだ。
振り返ってくれて、やっと渡せた。
きみ、という呼び方は、会社で上司が部下に言いそうである。上から下へ向かうベクトルが含まれる気がする。
また、よく歌で、きみを愛している、という場合にも使う… あっ! 思い出した、中学の時、好きな女の子に「心からきみを愛している」って告白したんだった…
人を、きみと呼んだのは、きっと二度目だ。
気を取り直して、本題に向かう。
人の呼び方は難しい。某なろう系でコメントを頂いた時、私は「かめ様」と呼ばれた。で、私もその方に「様」で返信した。違和感はない。
だが、面と向かって、たとえば年下の男の子から「かめさん」と呼ばれ、私が「~くん」と呼ぶのは、何だか自分が偉そうに思えてイヤなのである。相手が、さん付けで呼ぶのなら、私も、さん付けで相手を呼ばないと、失礼な気になる。
20歳年上の友達は、私を「あなたは」とか「ミツルさん」(私の名前)と呼ぶ。私も彼を、苗字ではなく名前で、さん付けして呼んでいる。
「くん付けだと、上下関係みたいで、いやじゃない?」と彼は言う。
また、5歳上の友達も、やはり「くん」付けは何か感じるところがあるらしく、眼を見て話すことで、名前を呼ばずに済むようにしている気配がある。20年つきあっていても、いまだに呼び方がままならないようだ。私は年下だから、気軽に「○○さん」と呼んでいる。
立場や年齢、その関係の仕方で、呼び名が変わるのは仕方ない。
だが、いちばんいいのは、相手が誰であるにせよ、苗字ではなく名前で、おたがいに呼び捨てでいいのではないかと思う。
結婚していた時、子どもに、「お父さん、お母さんじゃなくて、ミツル、ヨシコって呼んでいいよ」と、ぼくは言った。子が「どうして?」と訊けば、「お父さん、って呼ぶのは、トモミを、子ども、って呼ぶのと同じなんだ。トモミは、子どもじゃなくて、トモミでしょ?」と答えた。
「上もなく、下もない」
そんな社会が、成熟したひとつの社会形態であるといわれている。呼び方、けっこう重要なのではないだろうか?
(二、三年前、記)