直近では、スマホのことがある。SNSで自分の書いたものをアッピールするという、そういった営業活動(!)が大切です、と何かのサイトにあったからだ。
そうだろうなぁと思う。
でも、私には抵抗がある。スマホを持ってTwitterやらLINEやら、そういうことをすることに。
で、しない。
した方がいい、と確かに分かっているつもりだが、それ以上に確かに、不確かだけれど確かに、「しない方がいい」という私の知らない私に従っている。
これは何とも、理由のない反抗だ。私の中の客観から見れば、抗っている、かのように見える。だが、私は私に従っているだけなのだ。
不便を感じることも多い。QRコードでどうのこうのとか、アプリでどうのこうのとか、それをやればトクをする場面に少なからず逢着する。ちょっと悔しい思いもするが、仕方ない。
──────────────
自意識、私の中の鏡を見れば、目つきが悪くなった?ような気がする。ほんわかと、もともと少しタレ目であった気がするが、だから柔和な印象を相手に与えていたかもしれないが、何かキビシク、なってしまったような気がする。
だが元々、怒っても怒っていないように見られる始末だったから、そんな険しい顔になっていないかもしれない。
これも仕方ない。これが今の顔なんだ、私の。
あとはどうとでも受け止めよ、他者たちよ。
── 私は矛盾している。盾と矛が、私の中にあるだけだ。いいではないか、それで。矛だけ、盾だけになるほうがよっぽど恐ろしい。私はそんな、人に害を及ぼす人間でないよ。そんな人間になりたくない。「やめろ」と私のダイモーンが必ず言ってくるだろう。言ってこなければ、それもそれだけの話だ。
しかしダイモーン、私自身がダイモーンそのものになってしまったら、何もしなくなる…? いやそれは、断じてそんなふうにはならない。なれない。
主体。たぶん私は主体的な動物なのだ。ダイモーンは、私の主体の、日常をいとなむ私の主体の、おそらく重要な場面にあらわれるだろう。
その「重要」は、たぶん私の知らない重要であろう。
そうだ、私が私のダイモーンについて考えた時、私は今のような何か落ち着いた精神状態になった。
それまでの過程はある。兄の、「あ、ソクラテス、そうだったんですか」と、「~するな」というダイモーンの声について私が話した時の、兄の意外な反応。こないだ会った、絵を描く友達との時間。ツレアイの実家で、義父母と、また東京駅で義姉と会った際の私の態度等、過ぎたことを思い出す。
その過ぎている時間の真っ最中に、私はどのような私であったか、何が私に引っ掛かったか。ぜんぶが、今に至る過程である。
ぜんぶが私の、私を知るというような、今に至るきっかけだった。
で、また変化していく… のかな。
それもヨシだ。そりゃ、ずっと今に留まっているわけにいかないからね。
そうだろうなぁと思う。
でも、私には抵抗がある。スマホを持ってTwitterやらLINEやら、そういうことをすることに。
で、しない。
した方がいい、と確かに分かっているつもりだが、それ以上に確かに、不確かだけれど確かに、「しない方がいい」という私の知らない私に従っている。
これは何とも、理由のない反抗だ。私の中の客観から見れば、抗っている、かのように見える。だが、私は私に従っているだけなのだ。
不便を感じることも多い。QRコードでどうのこうのとか、アプリでどうのこうのとか、それをやればトクをする場面に少なからず逢着する。ちょっと悔しい思いもするが、仕方ない。
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自意識、私の中の鏡を見れば、目つきが悪くなった?ような気がする。ほんわかと、もともと少しタレ目であった気がするが、だから柔和な印象を相手に与えていたかもしれないが、何かキビシク、なってしまったような気がする。
だが元々、怒っても怒っていないように見られる始末だったから、そんな険しい顔になっていないかもしれない。
これも仕方ない。これが今の顔なんだ、私の。
あとはどうとでも受け止めよ、他者たちよ。
── 私は矛盾している。盾と矛が、私の中にあるだけだ。いいではないか、それで。矛だけ、盾だけになるほうがよっぽど恐ろしい。私はそんな、人に害を及ぼす人間でないよ。そんな人間になりたくない。「やめろ」と私のダイモーンが必ず言ってくるだろう。言ってこなければ、それもそれだけの話だ。
しかしダイモーン、私自身がダイモーンそのものになってしまったら、何もしなくなる…? いやそれは、断じてそんなふうにはならない。なれない。
主体。たぶん私は主体的な動物なのだ。ダイモーンは、私の主体の、日常をいとなむ私の主体の、おそらく重要な場面にあらわれるだろう。
その「重要」は、たぶん私の知らない重要であろう。
そうだ、私が私のダイモーンについて考えた時、私は今のような何か落ち着いた精神状態になった。
それまでの過程はある。兄の、「あ、ソクラテス、そうだったんですか」と、「~するな」というダイモーンの声について私が話した時の、兄の意外な反応。こないだ会った、絵を描く友達との時間。ツレアイの実家で、義父母と、また東京駅で義姉と会った際の私の態度等、過ぎたことを思い出す。
その過ぎている時間の真っ最中に、私はどのような私であったか、何が私に引っ掛かったか。ぜんぶが、今に至る過程である。
ぜんぶが私の、私を知るというような、今に至るきっかけだった。
で、また変化していく… のかな。
それもヨシだ。そりゃ、ずっと今に留まっているわけにいかないからね。