創作と日常と

書いた「作品」らしきもの、また日常のこと、思うこと等々。

待つ木

 わたしは火を待っている。燃え上がる炎、肌を焦がす熱気。熱い、熱い炎の到来を待っている。
 ここは自然発火機能をもつ地であることを、わたしの生命が知っている。

 生命が、常にこの世とあの世を循環するうちに、その事実がわたしの身体に埋め込まれた。
 これは、わたしの意思でこうなったわけではない。わたしが何を考えようと、何をしようと、自分がこうなる運命だったこと。

 生まれた時から、知ってたよ。

 のろく、緩慢な動きをする鼠色のぬいぐるみ。背中に子どもを乗せて、わたしの上を歩いていく。

 お腹のポケットから顔を出し、きょとんとした顔の子どもが、大きな母親と一緒に飛び跳ねていく。
 森は、とても平和だ。のんびりして、空だけが大きく見える。太陽も元気。
 雲が流れる。心地良い風。ああ、平和、平和。もし天国があるとしたら、今、ここにじゃないかしら。
 言葉のない国。みんな、それぞれの生命を、落として、育って、消えて、生まれを繰り返す国。

 誰も、誰も怨まず、憎まず、それぞれの運命を済ませている。食べられても、後悔しない。

 しばらく、水を飲んでいない。森全体が、乾き切っている。

 来る。もうすぐ来る。わたしにはわかる。ほら、ポッ、と、灯が。徐々に徐々に、赤い炎が広がっていく。
 のろまなものも、飛び跳ねるものも、翼をもつものも、逃げまどっている。
 わたしは動けない。炎の舌が、こちらに伸びてくる。舌なめずりして、やって来る。すべてを焼き尽くす炎。おまえは森の王者だ。太陽だ。まわりの、わたしの仲間、敵でもあったものが、ぱちぱち、ぱちぱち燃えていく。
 さあ、わたしの子どもたち、今だよ。はじけて、飛んで行け。さようなら、わたしの子どもたち。

 何日も火は燃え盛った。そして徐々に徐々に、黒い灰が、影のようにその後を追って広がった。森であったところは、真っ黒な大地になった。
 鎮火して2、3日後、子どもたちは、殻を破って四方に散らばった。敵も味方もいない、平坦な地。空から、陽光がさんさんと降り注いでいる。さえぎるものは何もない。子どもたちは一身に陽光を浴びた。

 この植物は、東洋の島国では「ブラシノキ」と呼ばれている。ブラシのような花をつけるので。中心に、一本の芯があり、そこから数々の花弁のベクトルが、一直線に外へ外へ向かうのだ。
 どうしてこんな形の花をつけるのか。まわりの木々たちに、教えるためだった。まわりのみんなが、「どうしておまえは山火事の後も、平気で生きていられるんだい?」と訊いてくるので。
「こうしてだよ、ほら、火にあたって、くすぶられたあと、この実を破って、こんなふうに散らばるからだよ」
 身をもって教えているのに、誰もわたしを見ようとしない。みんな、自分のことで忙しい。