「私はね、昭和○年○月○日生まれなんですよ」
そこから、常に話が始まる。
「幼稚園に勤めてましてね、もう、子ども達が可愛くて可愛くて」
ニコニコと、細い目に波を打ち、私をまっすぐ見つめておばあちゃんが言う。
何十回と繰り返された、同じ話だけれど、聞いていて、楽しい。
なぜなら、おばあちゃんが、楽しそうだから。
「またその話か」
「もういい、もういい、何百回も聞いた」
まわりのおじいちゃんおばあちゃんは、げんなりしている。
でも私は、このおばあちゃんが同じ話を繰り返すのを、聞くのが好きだ。
この繰り返しから、どんな方向へ話が行くだろう。
いつもと違う合いの手を打って、話題を少し変えたら、新しい話をしてくれるだろうか。
そんな思いも、たまに頭をもたげるが、
おばあちゃんはやっぱり同じ話をする。
私はね、昭和○年生まれで…
でも、それでいいんだ。
漫才師や噺家じゃないんだから。
それに、毎日、同じことを繰り返すのが、生きることではないか。
一生は一生で、多生を生きれる人なんか、いやしない。
自分の生きてきたことを、話してくれる。
素敵だと思う。
夜中に、時々徘徊しているようだけど、何を見ているんだろう?
大好きなお父さんお母さんと会っているんだろうか。
子どもの頃に帰って、遊んでいるんだろうか。
認知症でない人にだって、そんな気分の時があるだろう。
それが、形になってあらわれるか、あらわれないかの違いだけで。
おばあちゃんの見ている世界に、私も行って、一緒に遊べたらと思う。