創作と日常と

書いた「作品」らしきもの、また日常のこと、思うこと等々。

本の話

 偶然、必然、そのまま徒然。
 銭湯に行く道すがら、商店街に小さな古本屋がある。その店先を通るか、離れて通るか。道行く歩行者たちの流れ次第で、私の歩行の仕方も変わる。その流れに、逆らわずに歩く。
 昨日は、古本屋の軒先を通ることになった。いつか、古本を売りに行った時、あまりの安い買い取りに失望した。以来、避けて通っていたのだが。

 店頭に、「世界の名著」シリーズが2列、平積みされていた。その一番上に、「老子荘子」が!
 老荘思想に、まだ触れたことがない。モンテーニュ経由で、荘子の思想に興味津々だったが、老子にも強い吸引力を感じていた。両者を網羅した、この中央公論社のシリーズをネットで探すと、やたら高価だった。
 それが、ここで250円で売られていた。

 その横には、「プラトンII」が。帯には、
「国家とは何か。正義とは何か。国家社会の現実への憤りと変革意欲に促されて「哲学の根本問題」に迫ったプラトンの最高傑作『国家』。知識人が一度は熟読すべき思想の書」とある。おお。
 私は知識人ではないけれど、ソクラテスは好きだ。読まねばなるまい。まだ「プラトンⅠ」も読み終わってないけど。

 老子荘子の帯には、
「信言は美ならず、美言は信ならず── 儒教思想・文化を否定し、社会の良識に挑戦する老子荘子は、古代中国の生んだ巨星である。『自然へ帰れ』と説くその自由思想は、機械文明の重圧に苦悩する現代人に壮大な想像力と魂の安らぎを与える」云々。
 社会の良識に挑戦、かぁ。
 パラパラとページをめくる。
 ニヤニヤしてしまう。とにかく欲しかった、老子荘子。250円で、この世は至福。
 これが、老荘との出逢いだった。

 銭湯帰りに、再び立ち寄る。平積みされた、下の方を見たかったからだ。本底の方がこちらに向けられていたから、背表紙を見るために横の本をどかす。
 すると、「キルケゴール」が現われた。懐かしい。このデンマークの哲人のマネをして、中学の卒業文に「人間の幸福」を書いたっけ…
 ぱらっとめくると、「付録」が。あっ、椎名麟三が対談している! 全集まで買って読んだ、私の大好きな作家。この人も、キルケゴールを避けて通れなかったのだ…
 これは読まなければ。

 ほんとうに幸福な買い物をした。そしてキルケゴールを読んでいる。カフカハイデッガーも、かなりこの人の影響を受けているらしい。「概論」を読んでいると、ストリンドベリイの名前まで出てきた。20歳の頃、買ったけど読まなかったストリンドベリイ。
 まだ髭も生えていなかった私に、奇妙にふかい印象、「餌付け」されたような、胸奥にタネを植えられたような感じを与えてくれたキルケゴール

 モンテーニュもそうだった。「やあ、よく来たね」と、本の中から手招きされたような感じ。「待ってたよ」とでも言われたような感じ…
 ほんとうに読みたい本は、知らない私の中から、私がほんとうに求めて空気のように必要となる。意思以前の、何か生理的な、身体からの要求のようなもの。
 ニヤニヤ、ニヤニヤ。知らない私が嬉しがっている。これは絶対に読む。読まざるを得ない…

 

(2021年、夏)